めぞん一刻 音無惣一郎の謎

Q.惣一郎さんは女子高の講師になるまでの4年間(73〜77年)何をしていたのか?
A.病気療養とされているが、バイトでつないでいた可能性も


 郁子ちゃんの母は「ずいぶん長いことぶらぶらしていた」と言っており(第100話「桜迷路」)、惣一郎さんは定職にはついていませんでした。「一刻館の思いで」では、日記に書かれた食事が淡泊すぎること等の理由から病気療養をしていたと推定しています。
 惣一郎さんは突然亡くなってしまいましたが、事故なのか病気なのか、その死因は明らかにされていません。しかし、響子さんの母が三鷹さんと初めて会った時(第33話「あれがいい」)、病気持ちの家系かどうかをまず問い正していることから、私は惣一郎さんは病気で亡くなった可能性が高いと考えています。惣一郎さんが本来持病持ちであった可能性は否定できないでしょう。

 一方、五代君は境遇や経歴など、惣一郎さんの人生をトレースしている面があります。音無老人も「惣一郎と似たような人生を歩んどるなー、五代くんは」と言っています。ですから惣一郎さんも、五代君のように短期間のバイト続きだったということも考えられます。
 女子校の理事をつとめる音無老人は、惣一郎さんが27歳になった時に、口利きで惣一郎さんを講師に放り込みました(第87話「vs.乙女」)。しかし、惣一郎さんが就職に失敗した時点では、音無老人の力でも適当な職を見つけることは難しかったのでしょう。「家族(わたしたち)の方がおろおろしちゃって」とのセリフがそれを物語っているとも考えられます。
 惣一郎さんは、響子さんとのデートで地層を見に行くほど地学好きの人ですから、塾の講師とか地質調査のアルバイトなんかは適役かと思われますが、実際は五代君のように苦労続きだったのかもしれません。


Q.惣一郎さんはいつまで講師をしていたのか?
A.響子さんと結婚したあとも講師を続けていたのかも


 県立新潟中央高校がモデルとされていますが、響子さんの母校は原作・アニメとも私立高校のようです。
注)当初公立高校だと思っていたのですが、音無老人がこの高校の理事であり、理事とは『学校法人の代表の一員で学園の運営や経営に携わる人』であるとの情報をいただきましたm(__)m
 五代君が女子高で卒業アルバムを見た時(教育実習の時)、惣一郎さんの顔写真がインクで汚れていて(アニメでは破れていて)諦めていますが、惣一郎さんがずっと赴任していたなら翌年のアルバムを見ればいいわけで、惣一郎さんがこの女子高の教壇に立ったのはわずか1年だったと考えられます。
 実は、「講師」は産休などの場合を除き、基本的に1年契約で、期間の延長は校長の裁量による部分が多いそうです。とすると、惣一郎さんも次の年は別の高校に移ったものと考えられます。
 私立高校の採用方法は学校によりまちまちですが、人格重視ということで学校関係者の保証(紹介状)があれば有利になるケースが多く、つまりコネが必要ということらしいです。
 惣一郎さんが音無老人のコネで講師に放り込まれたのは御存知の通りですが、理事のコネでも講師が精一杯だったとすれば、余程新採用が少なかったのでしょうか(新採用は退職者の補充や生徒増加への対応のみ、という学校も多いとか)。正教員への道は厳しかったのかもしれません。

Q.惣一郎さんの母はいつ亡くなったのか?
A.惣一郎が亡くなる数年前だと思われる


 第76話「闇の中の顔」に惣一郎さんの母の遺影が出てきます。遺影の写真を仮に60〜70歳の時としましょう。
 惣一郎さんが死んだのは30歳の時ですから、まず「この直前まで母が生きていた」と仮定すると30〜40歳で惣一郎さんを産んだことになります。次に「郁子が生まれる直前まで生きていた」と仮定すると48〜58歳で惣一郎さんを産んだことになり、これは不自然です。
 つまり、郁子ちゃんの母が結婚した時(郁子ちゃんが生まれた時も)は、惣一郎さんの母は存命であった可能性が高いわけです。そして、惣一郎さんの母は惣一郎さんよりも先に亡くなったと思われます(→音無郁子の謎を参照してください)。
 以上から「惣一郎さんが亡くなる数年前に母が他界した」と考えるのが妥当でしょう。
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Weblog: さわだ07
Tracked: 2007-06-10 18:42
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