めぞん一刻 高橋留美子

高橋 留美子(たかはし るみこ、女性、1957年10月10日-)は日本の漫画家。新潟県新潟市出身。専門は少年漫画、青年漫画。

代表作は『うる星やつら』、『めぞん一刻』、『らんま1/2』、『犬夜叉』。以上の作品は全てTVアニメ化・映画化されており、週刊連載した作品は全て大ヒットしている。

1978年、「週刊少年サンデー」掲載の『勝手なやつら』でデビュー。

少年漫画や青年漫画を描く女性漫画家のパイオニアとして著名で、1970年代末頃から現在まで第一線で活躍している。


【受賞歴】
1978年 第2回小学館新人コミック大賞佳作 - 『勝手なやつら』
1981年 第26回小学館漫画賞少年部門 - 『うる星やつら』
1987年 第18回星雲賞コミック部門 - 『うる星やつら』
1989年 第20回星雲賞コミック部門 - 『人魚の森』
2002年 第47回小学館漫画賞少年部門 - 『犬夜叉』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

めぞん一刻 坂本

五代の予備校時代からの友人。1961年(昭和36年)生まれ(推定)。いわゆる悪友ってやつである。五代とは予備校からのつき合いで、大学も一緒。友達の少なかった五代は、兄貴肌の坂本をけっこう頼りにしていた。一方の坂本も、そんな五代を放っておけなかったのだろう。ちゃっかりしながらも、いろいろと五代の面倒を見ていた。五代が骨折で入院したときは、見舞いに来てくれるわ、代返はしてくれるわ、ノートのコピーは用意してくれるわ、とかいがいしい。

・第73話「がんばってくださいね」

女性関係が派手らしい坂本は、その手の相談に関して、常に適切なアドバイスを五代にしている。

1)五代が、こずえと別れたがっているときは…
  「そりゃおまえ、嫌われるに限るよ」
  「相手を傷つけないで別れるったら、これっきゃないよ」

・第67話「落ちていくのも」 p.9

2)五代が、響子さんを泣かせてしまったときは…
  「そりゃ、おまえ 惚れられてんだろ」

・第108話「二人の旅立ち」 p.12

五代が保育園をクビになったときには、半分だましたみたいな格好で「キャバレー・バニー」宣伝部を紹介した。しかし、広告代理店の正社員と思いきや、ただの呼び込みに過ぎなかった。五代もこれで少しは懲りたのかもしれない。「坂本…いつか殺す」と坂本をののしり、以後自分から進んで相談に行くことはなくなったようだ。

実は意外と泣き上戸だったりする。

・第9話「アルコール・ラブコール」p.6
・第60話「プールサイドのキスマーク」p.6
・第155話「今夜 待ってる」p.13

めぞん一刻 一刻館のその他のなぞ

Q.一刻館にはいくつ電話があるのか?
A.全部で4つ!?


 一刻館には管理人室の黒電話とピンクの電話がありますが、朱美さん(第47話「キッスのある風景」等)と二階堂君(第78話「一緒に住もうね」等)も個人で電話を持っています。
 一の瀬家は原作・アニメとも部屋に電話は見あたりませんが、第24話「リンクにかけろ」で賢太郎君はピンクの電話で郁子ちゃんと話しています(かかってきた可能性もありますが)し、第111話「夢一夜」でおばさんはピンクの電話から金沢の響子さんに電話しているので持ってない公算が強いと思われます。
 四谷さんは不明ですけど、時折五代君におごってもらう程貧乏症の彼が電話料金を払えるとも思えない…。ただし四谷さんがヤバい職業についている場合(^^)、正体を隠しながら外部と連絡をとるために無線などを利用してしるかもしれません(笑)
 よって一刻館の電話の数は4つ?!

Q.一刻館にはいくつテレビがあるのか?
A.五代君が設置したことで、全部で4台!?


 管理人室にはテレビがありますが、他の人はどうでしょう。
 二階堂君の部屋にはテレビがあります(第78話「一緒に住もうね」等)し、一の瀬さんは第1話「隣は何を…!?」で「もう騒がないでよ、メロドラマ見るんだから」と言ってます。
 朱美さんと四谷さんは、五代君が友人のテレビをもらいに行った時、「そーいえばありませんでしたなー、テレビ」「つくづく極貧ねー」という会話をしている(第99話「バラ色の人生」)ので持っているのかな?とも思ったんですが…。
 朱美さんの部屋は原作47・48話、アニメ36話及び映画「完結編」に出てきますが、いずれもテレビは見あたりません。四谷さんについては原作では設定ありませんが、電話と同じ理由で持っていないと考えるべきでしょうか?
注)アニメ96話で四谷さんが「部屋帰ってうる星やつらのビデオでも見よーっと」と言ってます。これについては、四谷さんが八神さんの家庭教師になった時、原作では八神さんに自習をさせて五代君のテレビを見ていましたが、アニメ65話では抜け穴に自分のテレビを運んできて見ています。つまり原作の五代君のテレビが、アニメでは四谷さんのテレビになってしまったために出てきたセリフだと思います(深読みでしょうか?)
 よって五代君が設置したことで一刻館のテレビは4台!?

Q.五代君は星のマークが好きなのか?
A.知らん。


 響子さんが小さい頃、クリスマスツリーの星が欲しくてだだをこねたことがありました(第45話「星をつかむ男」)。
 ところで、五代君も星マークの入った座布団と枕を愛用しています。座布団は例の黒地?に白の星マークが入ったものを7年間使っています。枕は第54話「草野球グランドクロス」まで使っているものが座布団と同じ柄です。第4話「暁に鐘は鳴る」等で着ていた綿入れにも四ツ星の模様が入っていました。
 一方、五代君の持ち物には飛ぶ鳥の模様の入ったものもよく見受けられますが、これも四ツ星に見えないこともない(苦しい?)ことから五代君はこの手の模様が好みなのではないかと思います。ちなみに飛ぶ鳥マークが入ったものは次のとおり。
(1)カーテン(受験時代とばあちゃんが上京した時は違う柄)
(2)こたつの掛け布団:一部に鳥の模様が入っています。
(3)トースター
 そして、一刻館の住人たちがよく○ッ○ロ生ビール(アニメでは○サヒが多いようですが)を飲んでいるところを見ると、単に五代君の好みにとどまらないのかも…(星でなくて味の好みだろうが!!)

Q.住民たちが家賃を納めるのは毎月何日か?
A.毎月25日ではないかと思われる。


 一刻館の家賃が約20,000円であることは知られています(第21話「マフ等、あげます」の最初のコマから)。アニメでは、第19話では1万円札2枚が家賃分としてノートにはさんであるようですが、第39話で五代君がクリスマスの予算を立てている場面ではノートに21,000円と書かれています。
 そして、家賃を納める日は毎月の25日ではないかと思われます。根拠は次のとおり。
(1)第21話「マフ等、あげます」で五代君は家賃分のお金を振り分けていながら、22〜24日に納めた形跡がありません。
(2)第23話「帰らざる彼」で1月13日(?)に一の瀬さんが「家賃なんてあと十日くらい払わなくてもいいのに…」と言っています。月末までは半月以上ありますので、切りの良さから考えても25日は妥当でしょう(第4日曜日までとかいう変則パターンも考えられますが、一般的ではないでしょうから)。

めぞん一刻 一刻館の構造のなぞ

Q.一刻館は築何年になるのか?
A.原作では不明。アニメでは築70年ぐらい!?


 木造モルタル作りのおんぼろアパート・一刻館、建築されて何年くらいになるのでしょう? 残念ながら原作では判定できる箇所がありません。
 アニメ3話では戦時中に住人たちが書き残した屋根裏部屋のメッセージが登場しますので、その建築が戦前までさかのぼることは間違いありません。アニメ44話で四谷さんのアルバムに「壱刻館上棟式記念」の写真があり、郁子ちゃんが「時計塔の後ろの子供、うちのお爺ちゃんの子供の時の写真よ」と言っています。音無老人の年齢は不明ですが、惣一郎さんや郁子ちゃんの年齢から初登場時60代と仮定し、写真を10才くらいと考えると、一刻館の建造は1920〜30年、つまり大正後期から昭和初期となります。よって一刻館は現在築70年前後と推定できます。

Q.一刻館の構造はどうなっているのか?
A.原作では不明。アニメでは管理人室が建物から出っ張っている。


 一刻館の間取りについて原作から推定していくとどうしても無理が生じます。
1階については、管理人室は廊下の突き当たりにあり、1〜3号室は2部屋ずつあります。2階については、4〜6号室とも1部屋です。ところが、一刻館の外観については「引退宣言」の最初のコマなどから分かるように直方体です。つまり、1階と2階の面積は同じでなくてはなりません。
 しかし、どう見ても2階の各部屋が二室分もの広さがあるとは思えず、管理人室がさほど窮屈とも思えません。あれこれ考えたのですが、どうしてもつじつまが合わず、「亜空間」ということで処理しています(^^;
 一方のアニメでは管理人室が出っ張っており、1〜3号室は1室しかないので、非常に分かりやすい構造になっています。特に前半のエピソードは原作に忠実に作られているのに、わざわざ一刻館の構造を変えたということは、制作時に「原作の一刻館の設定はありえない」という判断が下ったのではないかとも思っているのですが…。

Q.管理人室は無防備なのか?
A.管理人室のドアには鍵がない。


 響子さんがレオタードに着替える時、四谷さんの気配を感じた響子さんは勢い良くドアを開けました(第48話「見るもんか」)。響子さんが制服に着替えた時、住民達が突然飛び込んできました(第51話「一刻館の昼と夜」)。そして響子さんが体を洗おうとしていた時、五代君が胃腸薬を片手に突入しました(第19話「ケガの功名争い」)。以上の様子から管理人室のドアには鍵がないものと思われます。第27話「引退宣言」でも運送屋がドヤドヤ入っていきますし、「完結編」でも響子さんの留守中に五代君や響子さんの父が部屋に入っています。住民達の各部屋はちゃんと鍵がかかるというのに…。一般にアパートの管理人室って施錠しないものなんでしょうか?
 お爺さんが管理人をしていた頃なら、それでも良かったのでしょうが、若い女性の部屋に鍵がかからなかったというのは少々物騒な気がします。
 とにかく、五代夫妻は「覗き魔のいるアパート」の「鍵のかからない部屋」で「夫婦生活を営んでいる」ことになります。義姉が「あんな環境で子供できるかしら」と言うのも当然でしょう…。
注)アニメでは管理人室のドアにもちゃんと鍵穴があります。

めぞん一刻 一刻館の位置(原作編)

■一刻館と駅の位置関係
 駅から一刻館に帰ってくる時は、坂の下から一刻館に帰ってくる場合が多いのですが、第15話「複雑夜」の五代君、第26話「家族の焦燥」の響子さんのように坂の上から帰ってくる場合もあります。第28話「納得しました」の響子さんの父も、坂の上で電話をかけてから一刻館に来ています。
 よって一刻館から駅へは、坂の上・下いずれの道からも行けることがわかります。

■一刻館と茶々丸の位置関係
 第43話「坂の途中」、第147話「やましい関係」等、茶々丸で飲んだ後は坂の上から一刻館に帰ってきていますので、茶々丸はこの方向にあります。
 次に、第21話「マフ等あげます」で響子さんと五代君が坂を下りていくと、崖に沿う道路にぶつかり、右から来た三鷹さんと会っています(三鷹さんの歩いてきた方向にテニスコートがあるとも考えたのですが、第12話「行きがけの駄犬」でねざめ湯から帰ってきた賢太郎君と五代君がテニス帰りの響子さんと一の瀬さんに会っているので×)。
 この道路を左折し、崖沿いの道を歩くと茶々丸が左側にあります(第6話「サクラサクカ!?」など参照のこと)。

■茶々丸と駅の位置関係
 茶々丸で道は二手に分かれます。第150話「好きだから」で響子さん・五代君のいずれも茶々丸の正面に向かって左方向に駆けていき、その足で電車に乗っていますので、これが駅に通じる道です。
 ところが、第117話「弱虫」では茶々丸を出た後、駅に行く八神さん・五代君と一刻館に帰る他のメンバーがしばらく同じ道を歩いています。茶々丸から駅に向かう途中に一刻館にまっすぐ行ける道があるんでしょうか? それともぐるりとねざめ湯の方(後述)を回って帰ったのでしょうか?
 一方、茶々丸から崖沿いの道を下りていくと、第9話「アルコール・ラブコール」から、中華料理店・大歓喜に行けるようです。

■一刻館・ねざめ湯・駅の位置関係
 第26話「家族の焦燥」で、五代君がコインランドリー(ねざめ湯の隣)を出、坂の下から一刻館に帰ってきているので、ねざめ湯はこの方向にあります(第97話「深夜の面接」でも分かります)。
 また、同話でコインランドリーを出てすぐ坂を上り始めていること、第22話「あなたのソバで」で駅から歩いてきた五代君が、ねざめ湯の正面に向き合っていること、第99話「バラ色の人生」で一刻館に帰る響子さんの右後ろにコインランドリーがあることから、一刻館から坂を下りきった左側にねざめ湯があり、駅に行くにはここを右折することが分かります。
 それから、一刻館から坂を下りていって、一度右折することは、第63話「しわのあるキューピッド」で五代君と響子さんがデートに出発した場面から分かり、第136話「100%SYONEN場」で五代君が試験場の下見に出かけた時、響子さんが「あら、もう見えない」と言っていることからも推定できます。その後、ねざめ湯までは第43話「坂の途中」からいくつか右左折をする可能性があるのですが、はっきり分かりません。

■ねざめ湯と七尾家の位置関係
 第31話「三年待って」で一の瀬さんが、ねざめ湯から一刻館に帰る途中、後ろから来た五代君(七尾家からの帰り)に「そっち駅じゃないね。どこからの帰りだい」と言っていることから、ねざめ湯で右折せず、真っすぐ進むと七尾家に行けることが分かります。

めぞん一刻 一刻館の位置(アニメ編)

■一刻館の向き
 原作では一刻館の玄関はほぼ北向きですが、アニメでは若干の例外を除いて東向きです(朝日・夕日の位置や影の向きから特定可能)。一刻館は周囲を塀で囲まれ、裏側はすぐ高台になっていて、時計坂の町を見下ろすことができます(第1・20話など)

■一刻館と茶々丸の位置関係
 茶々丸の前は原作同様に三叉路になっており、説明の便宜上、茶々丸の正面左方向をA、茶々丸の横の道で坂の上方向をB、坂の下方向をCとします。
 原作同様に茶々丸を出た響子さん達は坂の上から一刻館に帰ってきます(第31・91話など)。まずこのルートを見ると…
 一刻館を出て(坂の頂上を過ぎ、)坂を下っていくとT字路にぶつかります(第18・35話)。ここを左折して右手がガケ沿いの道を下っていくと、茶々丸の正面左から到着します(第18話)。すなわちAの方向から一刻館に行けるわけです。第23話の四谷さんもここを通っているようです。

 一方、茶々丸を飛び出した響子さんが、Bの方向に坂をかけあがっていく場面があります(第9・89話)。坂の上で道は左に折れ、角のところに街灯と大きな木が立っています。このルートで一刻館に帰れるかどうかは不明なのですが、茶々丸からの帰りに右手がガケ沿いの道を上っている場面があり(第2話など)、Bの方向からも一刻館に行けると考えたほうが自然のようです。
 また、第9話の響子さんの影の向きから茶々丸が北向きであることが分かります(ただしかなりの矛盾を含む)。

 残りのCの方向から駅に行けることは、以下より推定できます。
○第9話で三鷹さんの車がCの方向へ帰っていったこと
○第66話で茶々丸(裏口?)で一刻館メンバーが駅に行く五代君と八神さんを見送っていること
○第52話で墓参りから帰った響子さんが茶々丸の前を(右から左に)横断していること

■一刻館と駅の位置関係
 五号室の窓から線路と鉄橋が見える場面はかなりあり、線路は北東から南西の方角に伸びているようです(南北とも見れますが、東時計坂−時計坂−西時計坂と続いているので東西線でなくてはなりません)。
 駅前はすぐ時計坂商店街になっており(第23・68話)、駅方向から見ると時計坂は左下から右上にガケを右手に上っています(第15・22話)

 ガケを右手に坂を上っている場面は次のとおり。坂の向きがあちこちなのは道が複雑に曲がりくねっているためなのか、設定が曖昧なのか…
○第9話の五代君のバイト帰り。夕日を背にしているので上り坂は東向き
○第27話の響子さんと郁子ちゃんが歩いている場面と、五代君と惣一郎さんが歩いている場面。坂の上に夕日があるので上り坂は西向き
○第30話の五代君がガードレールの欄干の上を走っている場面
○第31話の家出中の五代君が一刻館に向かって?走っている場面
○第34話の三鷹さんのアパートからの帰り
○第47話ののまずくわず(駅前)からの帰り
○第48話の五代君と一の瀬氏が駅から帰る場面(屋台に立ち寄っています)
○第65話の響子さんと五代君が靴屋で会った帰り
○第68話の八神さんと婆ちゃんが駅から一刻館へ向かう場面。影の向きから上り坂は南向き

 逆にガケを左手に坂を上っている場面(第6・18・26・43話)もあるのですが、茶々丸からAの方向へ歩いている場面だと考えればさほど複雑にはなりません。

■一刻館とねざめ湯の位置関係
 ねざめ湯は原作同様に時計坂を下りきった所にあるようです(第22話)。ねざめ湯を出た響子さんは右手に折れ、一刻館に帰っています(第19・26話)。
 また第26話ではねざめ湯の後ろを列車が走っています。残念ながらここまで。

めぞん一刻 五代裕作の謎

Q.五代君はなぜ浪人時代に上京したのか?
A.小さい頃から早く家を出たいと思っていたのではないか


 五代君の実家は定食家、ゆかり婆ちゃんも「浪人に無駄飯食わせるほど豊かな家庭じゃない」と言っている(第6話「サクラサクカ!?」)ように、決して裕福な家ではありません。新潟市内にも大手の予備校はあるし、その気なら自宅浪人も可能です。五代君はどうして東京での浪人生活を選択したのでしょうか。
 おそらく毎日出前や店の手伝いにこき使われるのに嫌気がさしていたのではないでしょうか。第12話「行きがけの駄犬」でも、幼少時代に店の手伝いでどこにも連れていってもらえなかったことを話していますから、「いつか出てってやる、こんなアパート」と物干台で誓った賢太郎君と同じように、とにかく高校卒業後は家を出ることしか考えていなかったのかもしれません。まさか就職が決まらずに実家に戻る気になるとは思わなかったでしょう(笑)
 上京を許してもらったかわりに、親の負担を減らすために格安のアパートを探したのでしょう。五代君が一刻館に入居した時に「合格したらこんなところ、すぐにおさらばだ」と言っていますので、大学に合格したらもっといいアパートに引っ越すつもりでいたようです。また「サクラサクカ」でゆかり婆ちゃんは一浪でダメだったら五代君を連れて帰ると言っていますので、当初から1年だけのお許しだったのかもしれません。

 ところで、作者の高橋留美子さんも、五代君と同じく、新潟から上京して東京の大学(日本女子大)に入りました。これについては「オレのまんが道」の中で、「親に“お前のようななまけ者は、一人暮らしの大変さを知らなくてはいかん、大学は東京へ行け!”と言われて上京することになりまして」と述べています。五代君も実は同じように追い出されたのだったりして

めぞん一刻 四谷の謎

Q.四谷さんは諜報機関のエージェントなのか?
A.四谷さんの原型は「ダストスパート!!」の背古井さんだが、職業はやはり不明。


 ご存知の通り、四谷さんの正体は謎に包まれており、一刻館の住人達ですら彼の職業を知りません。「一刻館の思いで」では役者・探偵・泥棒の各説を展開していますが、実は四谷さんは諜報機関に勤めているという説があります。
 高橋留美子さんが「めぞん一刻」連載開始の一年前に描いた「ダストスパート!!」という作品に背古井唯安という四谷さんに瓜二つな人物が登場します。背古井さんは「HCIA」通称「日の丸シーアイエー」という諜報機関のエージェントをしており、自らの正体を隠す四谷さんに通じるモノがあるというのがその根拠です。
 実は、四谷さんを描くにあたって背古井さんを「原型」にしたことは、作者自身も認めています。
「別の作品で四谷さんのキャラクターなるものの原型を描いていて、『めぞん一刻』を始める時も、あのキャラクターをと思い描いたものでした。」(実写版映画のパンフより)
 別の作品とは勿論「ダストスパート」です。でも、「めぞん一刻」と「ダストスパート!!」は全く作品の世界観が異なり、背古井さんと四谷さんを同一人物と見ることは無理があります。それに、作品中では四谷さんの職業について何も明らかにされていませんから、我々はあれこれと四谷さんの正体を想像できるわけです。

 余談ですが、実写版映画で四谷さんを演じた伊武雅刀氏があまりにハマっていたためか、彼が四谷さんのモデルであると言われたこともありました。しかし、高橋留美子さんは「よく伊武さんがモデルだったのでしょう、と言われますが」「四谷さんと伊武さん、二人の相似性は偶然の驚異なのです」と述べています(実写版映画のパンフより)。

めぞん一刻 音無郁子の謎

Q.郁子ちゃん親子はいつ音無家に戻ったのか?
A.惣一郎さんの母が亡くなった時


時期    出来事
1967頃? 惣一郎の姉、嫁ぐ
1968〜69 郁子の誕生
1975頃? 惣一郎の母、死去。郁子と母、音無家へ
1977    惣一郎、女子高の講師に
1979    惣一郎と響子の結婚
1980    惣一郎、死去

 郁子ちゃんの母が惣一郎さんの実姉だとすると、音無家には惣一郎さんがいるので、彼女が婿をもらって音無家に残る必要はありません。つまり、郁子ちゃんの母は一度音無家を出て夫に嫁ぎ、後に音無家に戻ったことになります。とすると郁子ちゃん親子はいつごろ音無家に入ったのでしょうか?
 郁子ちゃんの母が嫁いで音無家を出た後は、惣一郎さんの母が家事を見ていたと思われます(惣一郎さんの母は惣一郎さんが亡くなる数年前に死んだと考えられるので)。そして、響子さんが結婚した時、もし惣一郎さんの母が存命であれば、惣一郎さんの姉は音無家に戻る必要はありません。惣一郎さんの母が亡くなった後は、今度は響子さんが家事を見ればいいですから。
 つまり、惣一郎さんが結婚する前に惣一郎さんの母が亡くなったため、家事を見るために音無家に戻ったのではないかと考えています。

Q.郁子ちゃんの名字は本当に「音無」か?
A.アニメでは「音無」だと分かるが、原作では不明


 アニメでは、第11話で郁子ちゃんの数学テキストに「1の2 音無郁子」と書いてあり、郁子ちゃんの姓は「音無」であることが分かります。
 一方原作では、郁子ちゃんの名字が「音無」である根拠は実はありません。郁子ちゃんの母は一度音無家を出て嫁いだので、郁子ちゃんが別姓である可能性も高いと思います。しかし音無家に戻ってから音無姓を名乗ることは可能であり、音無でないとも断言できません。
 私は「原作で不明なものはアニメの設定に求める」方針ですので、本サイトでは全て「音無郁子」としています。

めぞん一刻 一の瀬花枝の謎

Q.一の瀬さんはいつ上京したのか?
A.高校卒業後だと思われる


 一の瀬さんの正確な年齢は不明ですが、女性の高校進学率を見ると昭和35年が55.9%、昭和40%が69.6%であり、未進学者もかなりの割合になります。つまり中卒も高卒も一般的な時代でした。
 しかし、第51話「一刻館の昼と夜」で、セーラー服を着た一の瀬さんが五代君に向かって「私と高校生ペアを組もう」と言っており、一の瀬さんが高卒であることが分かります。また、当時の女性の大学進学率は一桁であり、大学受験する五代君が他人事であることや賢太郎君の勉強(小学校の宿題)を五代君に見てもらっていることなどから、大卒の可能性はないでしょう。
 次に、一の瀬さんの上京時期について考えてみます。一の瀬さんは「道産子」つまり北海道生まれですが、第49話「なんて器用なの」で少女の頃は雪国にいた(五代君の想像の中ですが)ことが描かれていますので、中学か高校の時にはまだ北海道在住だったと思われます。
 すると、(1)中学か高校在学中に家族と共に上京した、(2)高校卒業後に単身で上京した、の2つが考えられますが、親兄弟が東京近郊にいるのであれば、第12話「行きがけの駄犬」や第28話「納得しました」で賢太郎君が「どっこも連れてってもらえない…」などということは不自然な気がしますので、単身で(或いは親戚などを頼って)上京したものと推定しておきます。
 余談ながら、一の瀬家では生活は貧しいながらも、年末は例年家族そろって田舎に帰ったり旅行に出かけたりしており、一の瀬さんはああ見えてしっかり家計のやりくりをしているのでしょう。

Q.一の瀬さんは何歳か?
A.初登場時で30代前半と思われる


 一の瀬さんには、初登場時に小学3年生の息子・賢太郎君がいるため、結婚した年齢が分かればおおよその年齢が推定できます。
 当時の女性の平均初婚年齢は24〜25歳で推移しており、かつては「25歳を過ぎたら行き遅れ」と言われておりました。一の瀬さんも、第5話「春遠からじ!?」で当時21歳の響子さんに「あんた適齢期だよ」と言って見合いを勧めており、結婚に対する同様の観念が伺えます。
 次に、第65話「一の瀬氏の失業」で、一の瀬さんのほうから旦那に求婚したことが描かれていますが、当時は見合結婚が約6割、恋愛結婚が約2割だったそうで、形はどうあれ、女性の方からプロポーズするのは相当に少ないケースだったはず。さらに、第49話「なんて器用なの」では、少女時代の一の瀬さんが近所に下宿していた大学生に花を贈ったエピソードが語られており、男性に対してこれほど積極的であった一の瀬さんが、むざむざ自身の適齢期を逃すとは思えないのです。
 さらに、「一の瀬氏の失業」で、一の瀬氏の憧れだったツル子さんは一の瀬さんの一つ後輩でしたが、彼女が25歳を過ぎていたなら、事務所の女性2名ともが「行き遅れ」ということになってしまうため、20歳そこそこ(一の瀬さんは高卒であり、後輩がいるので19歳以上であることは分かりますが、周囲が大酒飲みを傍観していることや未成年の結婚話を勝手に進めるのは不自然であることから成人に達していたと思われます)だったと見ていいのではないでしょうか。
 以上から、断言はできませんが、一の瀬さんが20代前半で結婚し、すぐに賢太郎君が生まれたとすれば、初登場時は30代前半だったということになります。
 なお、第27話「引退宣言」で、当時22歳の響子さんのことを「実の妹のように…」と言い、四谷さんの「実の娘のようにではないのですか」という疑問をきっぱり否定しています。仮に一の瀬さんが30歳で出産したとすれば、この時40歳となり、18歳年下の響子さんとは娘でもおかしくない年齢差になってしまうのです。

めぞん一刻 音無響子の謎

Q.響子さんはなぜ大学に行かなかったのか?
A.卒業後は惣一郎さんと結婚するつもりだったから


 第18話「キャンパス・ドール」で響子さんは「あたし大学に行けなかったから」と言っています。「行かなかった」ではなく「行けなかった」と言ったのはどういうことでしょう?
 両親や周囲の反対で「行けなかった」のでしょうか? いえ、両親は逆に「結婚は大学卒業してからでも遅くないんじゃないの?」と進学を勧めるのが普通だと思います。響子さんにも十分進学できるだけの学力はあったと思いますし。
 「行かなかった」わけは簡単です。惣一郎さんと結婚するつもりだったので進学する気がなかったのでしょう。つまり、大学進学を断念したのは響子さん自身の意志だったと思います。
 第33話「あれがいい」で、響子さんの母が「惣一郎さんの時だって年の差がどうだこうだってごちゃごちゃごちゃごちゃ…」、響子さんの父が「あん時はきみだってぶつぶつ言ってたろうが!!」と話しています。響子さん自身は惣一郎さんとの結婚しか頭になかったでしょうし、音無家は一触即発のゴタゴタ続きであったことは容易に想像できます。結果的に大学に「行けなかった」ことを言っているのかもしれません。
 そして響子さんは惣一郎さんとの結婚を果たします。当時の響子さんにはそれが全てでした。しかし現在、惣一郎さんは既に亡く、五代君が大学生活を満喫(?)しているのを見ています。響子さんも惣一郎さんに会うまでは当然大学進学を考えていたでしょう。「行けなかった」とは、自分にも大学進学という選択肢があったことを、あらためて振り返られるようになった、つまり音無家から逃避してきた響子さんが自分の過去に目を向け始めた一つのあらわれとも考えられます(たぶん深読み)。

Q.響子さんと惣一郎さんは「駆落ち同然で結婚」したわけですが、「同然」とはどういうことか?
A.千草家から駆け落ちし、音無家からは庇護を受けていたのでは?


 第69話「駆け落ちクラッカー」で四谷さんが「管理人さんだって惣一郎さんとは駆け落ち同然で結婚したんでしょ」といっています。「同然」とはつまり何をしたんでしょう?
 MLで「つまり駆け落ちしたのではないのか?」と述べたところ、「駆け落ちは音無先生の財力を考えると難しいのでは? 結婚後も、独立せずに音無家に残ったくらいですから」との意見をいただきました。
 駆落ちとは「結婚を許されない男女が示し合わせて逃げ隠れすること」です。千草家で結婚に猛反対したことは知られていますが、音無家ではさほど反対されなかったのかもしれません。ならば千草家からだけ逃げればいいわけで、「半駆落ち=駆落ち同然」ということかも。つまり、音無家の親戚とか別邸とか、音無家の目の届くところで生活させつつ、千草家の説得を続けた…ということは考えられそうです。

Q.そもそも響子さんは卒業して1年半は何をしていたのか?
A.アルバイトや何らかの学校に通っていたのかも


 響子さんは卒業後1年半で惣一郎さんと結ばれました。この間、運転免許を取得したということ以外は何も分かりません。いったい響子さんは何をしていたのでしょうか?
 同じくMLで「両親の提案した唯一の結婚の条件が“二十歳になるまでは待て”だったのでは? ですから、それまでは花嫁修業とか」との意見をいただきました。響子さんが惣一郎さんと結婚したのは二十歳になってすぐと考えられますから、両親の出した最終条件だったのかもしれません、或いは父母の同意書がいらなくなるのを待って(未成年者の婚姻には必要)強引に結婚してしまったのかもしれませんが…。
 ところで、第28話「納得しました」で、響子さんが「あたし別に結婚に反対されたこととか、惣一郎さんが亡くなった時、いたわってくれなかったとか…」と言っており、結婚2年後も確執が残っているくらいですから、猛反対の両親の前で黙々と花嫁修業をするのは難しいと思います。「お前はまだあんな男と結婚する気でいるのかっ! 許さん、絶対に許さんぞ!」てな具合に当たり散らされるのは目に見えてますから。
 考えてみると、響子さんは意外な特技を持っています。一刻館の屋根裏や物干し台の修理をこなすし、一刻館が停電になった時には「少しは心得がありますから」といって配線を調べに行っています。この期間にアルバイトや学校に通って身につけた技術なのかもしれません。何より家には居づらかったでしょう。

めぞん一刻 音無惣一郎の謎

Q.惣一郎さんは女子高の講師になるまでの4年間(73〜77年)何をしていたのか?
A.病気療養とされているが、バイトでつないでいた可能性も


 郁子ちゃんの母は「ずいぶん長いことぶらぶらしていた」と言っており(第100話「桜迷路」)、惣一郎さんは定職にはついていませんでした。「一刻館の思いで」では、日記に書かれた食事が淡泊すぎること等の理由から病気療養をしていたと推定しています。
 惣一郎さんは突然亡くなってしまいましたが、事故なのか病気なのか、その死因は明らかにされていません。しかし、響子さんの母が三鷹さんと初めて会った時(第33話「あれがいい」)、病気持ちの家系かどうかをまず問い正していることから、私は惣一郎さんは病気で亡くなった可能性が高いと考えています。惣一郎さんが本来持病持ちであった可能性は否定できないでしょう。

 一方、五代君は境遇や経歴など、惣一郎さんの人生をトレースしている面があります。音無老人も「惣一郎と似たような人生を歩んどるなー、五代くんは」と言っています。ですから惣一郎さんも、五代君のように短期間のバイト続きだったということも考えられます。
 女子校の理事をつとめる音無老人は、惣一郎さんが27歳になった時に、口利きで惣一郎さんを講師に放り込みました(第87話「vs.乙女」)。しかし、惣一郎さんが就職に失敗した時点では、音無老人の力でも適当な職を見つけることは難しかったのでしょう。「家族(わたしたち)の方がおろおろしちゃって」とのセリフがそれを物語っているとも考えられます。
 惣一郎さんは、響子さんとのデートで地層を見に行くほど地学好きの人ですから、塾の講師とか地質調査のアルバイトなんかは適役かと思われますが、実際は五代君のように苦労続きだったのかもしれません。


Q.惣一郎さんはいつまで講師をしていたのか?
A.響子さんと結婚したあとも講師を続けていたのかも


 県立新潟中央高校がモデルとされていますが、響子さんの母校は原作・アニメとも私立高校のようです。
注)当初公立高校だと思っていたのですが、音無老人がこの高校の理事であり、理事とは『学校法人の代表の一員で学園の運営や経営に携わる人』であるとの情報をいただきましたm(__)m
 五代君が女子高で卒業アルバムを見た時(教育実習の時)、惣一郎さんの顔写真がインクで汚れていて(アニメでは破れていて)諦めていますが、惣一郎さんがずっと赴任していたなら翌年のアルバムを見ればいいわけで、惣一郎さんがこの女子高の教壇に立ったのはわずか1年だったと考えられます。
 実は、「講師」は産休などの場合を除き、基本的に1年契約で、期間の延長は校長の裁量による部分が多いそうです。とすると、惣一郎さんも次の年は別の高校に移ったものと考えられます。
 私立高校の採用方法は学校によりまちまちですが、人格重視ということで学校関係者の保証(紹介状)があれば有利になるケースが多く、つまりコネが必要ということらしいです。
 惣一郎さんが音無老人のコネで講師に放り込まれたのは御存知の通りですが、理事のコネでも講師が精一杯だったとすれば、余程新採用が少なかったのでしょうか(新採用は退職者の補充や生徒増加への対応のみ、という学校も多いとか)。正教員への道は厳しかったのかもしれません。

Q.惣一郎さんの母はいつ亡くなったのか?
A.惣一郎が亡くなる数年前だと思われる


 第76話「闇の中の顔」に惣一郎さんの母の遺影が出てきます。遺影の写真を仮に60〜70歳の時としましょう。
 惣一郎さんが死んだのは30歳の時ですから、まず「この直前まで母が生きていた」と仮定すると30〜40歳で惣一郎さんを産んだことになります。次に「郁子が生まれる直前まで生きていた」と仮定すると48〜58歳で惣一郎さんを産んだことになり、これは不自然です。
 つまり、郁子ちゃんの母が結婚した時(郁子ちゃんが生まれた時も)は、惣一郎さんの母は存命であった可能性が高いわけです。そして、惣一郎さんの母は惣一郎さんよりも先に亡くなったと思われます(→音無郁子の謎を参照してください)。
 以上から「惣一郎さんが亡くなる数年前に母が他界した」と考えるのが妥当でしょう。

めぞん一刻 恭子(きょんきょん)

しいの実保育園に通う女の子で、五代に告白のテープを渡す。五代はこれをヒントに、響子にメッセージを伝える事を思いつく。しかしテープが入れ替わってしまい、失敗に終わる。テープの中身が入れ替わった経緯は次の通り(かなり無理のある解釈ですけど)。

1.新しいテープ(テープA)をセット。
2.きょんきょん(恭子)へのメッセージを吹き込む。
3.巻き戻さずに取り出す。
4.響子用の新しいテープ(テープB)をセット。
5・録音を開始する。
6・朱美などが乱入してきてカラオケ大会となる。
7・「最初っからやり直しだ…」 この時に間違ってテープAをセット。
8.そのまま巻き戻さずに録音。
9・録音後、最初まで巻き戻し。
10.響子に渡す。
11.きょんきょんへはテープBを渡す。

五代の本当のメッセージは、響子に渡したテープの続きに録音されているので、個人的には響子さんに伝わったと考えています(そうじゃないと五代がかわいそう)。

第104話「とっても好きだよ」

めぞん一刻 音無惣一郎

響子の亡夫。

1)経歴
1950年(昭和25年)生まれ
1977年(昭和52年)春頃 父が理事を勤める女子高に地学の非常勤講師として勤務(*)
1979年(昭和54年)秋頃 響子と結婚
1980年(昭和55年)春頃 死去
 (*)第20話「影を背負いて」p,10、第52話「配達された一枚の葉書」 p.9

2)解説
あの千草響子が一目惚れし、高校生ながら結婚まで思い詰めてしまった人物が音無惣一郎である。一体どのような人物だったのだろうか。やや猫背で、顔は不明。授業中騒ぐ女生徒を注意することもできない気弱な性格。そして物腰の柔らかい話し方。響子によれば「真面目でストイック」、郁子によれば「ちょっと変わり者」だったそうだ。

響子の方は一目惚れに近いが、音無先生の方でも響子のことを早くから意識していたようだ。初めて響子のことを呼んだ時は「千草さん」だったが、それ以降はずっと「千草くん」である。

好きな花は菊(*1)。好物は特にないらしいが、かんぴょう巻きを切らずに丸かじりするのが好きだった(*2)。また酒が飲めない体質だったらしいが(*3)、学校帰りに焼き鳥を買っていたりする(*4)。
(*1) 第126話「菊と積木」p.10
(*2) 第77話「春の墓」p.15
(*3) 第59話「梅酒婆あ」p.18
(*4) 第35話「ふりむいた惣一郎」p.7

めぞん一刻 管理人

アパート「一刻館」の管理人である音無響子のことをいう。管理人の主な仕事は次の通り。
家賃の徴収
建物の補修(屋根修理等)
建物内の清掃
屋外の清掃
町内会出席
地区行事への参加

これら管理人の仕事の中でも、大きなウェイトを占めているのが「建物内の掃除」である。響子さんが家出した時の一刻館の状況を見ればわかるように、一刻館はすぐに汚れる傾向がある。
響子さんが家出した夜の段階で、既に玄関は汚れきっている(第146話「出たとこ勝負」 p.20)
さらに五日が経過すると、もはやスラムと化す(第147話「いきなり管理人」 p.5)

このような一刻館なのだが、いつもはきれいで散らかっていることがない。このことからも、管理人さんの仕事ぶりがうかがえる。一刻館は木造のため、きれいにするためには雑巾掛けが必要になる。響子さんの場合はモップを使用することが多い。掃除機でも使えばいいのに…とも思ったが、一刻館の廊下にコンセント口があるとも考えにくい。結局、ほうきを使ってゴミを取り、モップ掛けで床を磨くといった掃除のスタイルになってしまうのだろう。この掃除の大変さは、五代の「これじゃ響子さん迎えに行く暇ないじゃないか!」(第148話「やましい関係」)というセリフからもわかる。五代が不慣れであるという点を考慮したとしても、管理人の仕事がいかに時間的拘束を受けるものかが想像できる。

めぞん一刻 一刻館

「めぞん一刻」はここから始まり、ここで終わる…いや、終わらない。ここから五代と響子の人生が始まるのだ。一階は六畳+四畳半(推定)、二階は六畳一間、全6室+管理人室+トイレ×2+時計小屋。屋根の時計は壊れたまま、いつも10時25分を指している。しかし、3回だけ別の時刻を示したことがある。
1982年 10:35 響子の両親が管理人の引退宣言をした日
(第27話「引退宣言」 p.16)
1986年 10:10 響子と三鷹の見合いの日の夜
(第133話「あぶない夜」 p.22、第134話「朝まで眠れない」 p.2)
1986年  9:30 三鷹と五代が決闘した夜
(第137話「迎えうち」 p.2)

この時計の時刻の持つ意味については、各読者の判断に任せたい。

めぞん一刻 音無響子

『めぞん一刻』ヒロイン。アパート「一刻館」管理人。

1)経歴
1959年(昭和34年)秋頃生まれ(第21話 p.16、第133話 p.5)
1966年(昭和41年)小学校入学(第28話 p.2)
1972年(昭和47年)小学校卒業
1972年(昭和47年)中学入学
1975年(昭和50年)中学卒業
1975年(昭和50年)高校入学、テニス部所属(第10話 p.13)
1977年(昭和52年)高校3年時、クラス委員長(3年3組)(第87話 p.7、第20話 p.9)
1978年(昭和53年)高校卒業
1979年(昭和54年)夏頃、自動車免許取得(第13話 p.19)
1979年(昭和54年)秋頃、惣一郎と結婚(第7話 p.20「嫁いで半年たたんうちに(後略)」より逆算)
1980年(昭和55年)春頃、惣一郎と死別
1980年(昭和55年)秋頃、一刻館管理人に就任

旧姓千草。幼い頃祖父母を亡くす。(第64話 p.7)
また父の仕事の関係で転校が多かった。(第23話 p.9)
1977年高校3年時、惣一郎と出逢う。第一印象は「おとなしい先生ね」(第87話 p.6)
1979年、音無惣一郎と結婚。音無家に入居するようになる。音無家では家事全般を担当。家が古いため簡単な修繕等もこなしていたと思われる。この時の経験は後に一刻館管理人になった時に生かされることになる。
(一刻館の停電修理:第4話 p.17「少しは心得がありますから」)

2)解説
■響子さんの一日
6時前に起床し、惣一郎の散歩。その後朝食。午前中は、まず玄関掃除(竹ボーキ)をしてから、洗濯、アパート内の掃除等。その後昼食。午後は比較的自由で、趣味の編み物や、一の瀬とのお茶等。夕方もう一度玄関掃除をしてから、惣一郎の散歩も兼ねての買い物。その後夕食。夜は主にテレビ。就寝時間は不定で、早いときは10時前、遅いときは深夜まで起きていることもある。
→管理人

■響子さんの特技
水泳(第60話 p.18)、スケート(第24話)、テニスなどスポーツ全般。また足も速く、高校3年時はリレーのアンカーに抜擢された(第87話 p.16)
変わったものとしてはパチンコ(第32話)。おそらく惣一郎に教わったのだろう。
着物の着付けもひとりでできるし、和裁もこなす。

■響子さんの趣味
編み物(毛糸、レース編み)などの手芸で和裁もできる。

■響子さんの好きな食べ物
たこ焼きが好きなようだ。あとは好きな食べ物とは関係ないが、シチュー、たい焼き、たこ焼き、ラーメンを一気にたいらげる、驚異の胃袋の持ち主でもある。一刻館入居当時は、惣一郎が下戸だったこともあって酒をあまり飲まない生活だった。一の瀬に豆蔵に連れていかれた時は、ビールを少し飲んだだけで記憶を失うほど酔ってしまったが、一刻館の宴会に参加するようになってからは、他の住人たちと同じペースで特大ジョッキをあけるほどまでに鍛えられた。
(第5話「春遠からじ!?」、第36話「ショッキング・ジョッキ」)
音無惣一郎

めぞん一刻 原作クイズ 第一問

■第1問
 各キャラの登場回数(1話につき1回と数える)をカウントした場合、五代君と響子さんに次いで登場回数の多い人物は誰でしょう(直感で分かるんじゃないでしょうか)?


















答:一の瀬花枝
(以上、10話以上のキャラ28名)
注1)想像・妄想・回顧等によるものもカウントしています。
注2)アニメで分かる人名はそのまま採用しました。 順位 名前 回数 順位 名前 回数
1 音無響子 162 14 九条明日菜 19
1 五代裕作 162 14 音無老人 19
3 一の瀬花枝 143 17 茶々丸マスター 18
4 六本木朱美 119 18 飯岡 17
5 四谷 117 19 音無郁子 16
6 惣一郎(犬) 85 19 五代ゆかり 16
7 三鷹瞬 71 21 明日菜の母 13
8 七尾こずえ 38 21 音無惣一郎 13
9 一の瀬賢太郎 36 21 サラダ 13
10 坂本 34 24 上荻先生 11
11 二階堂望 26 25 小林 10
12 千草律子 22 25 三鷹の叔父 10
13 響子の父 21 25 郁子の母 10
14 八神いぶき 19 25 麻美 10

 登場回数は上表のとおりです。何度かチェックしましたので限りなく近い数字が出せたものと思います。
 ただ1コマでも何十コマでも同じ1回としてカウントしていますので、八神さんなどはかなり損している(?)ように思いました。逆に犬の惣一郎さんは1コマだけの登場がやたら多いです(だからと言ってコマ数や頁数でカウントする気力はないです)。

 一の瀬さんは実はダントツの3位でした。響子さんと一緒にテニススクールに通っていることも強みなのでしょうが、やっぱりこの人がいないと盛り上がらないと思います。
 管理人室に入り浸って(逆に響子さんが1号室に遊びに行ったことは殆どない)響子さんのよき相談相手であったし、響子さんや五代君が落ち込んでいる時に真っ先に感づくのは一の瀬さんでしたから。
 ま、「酒と噂話が生きがいみたいな人」と言われるとおり、宴会はほぼ皆勤ですし、響子・こずえ・三鷹・五代の関係にはねじり込んで来ます(笑)から、当然の順位でしょうか。

引用:めぞん一刻小事典より

めぞん一刻 現実との繋がり二

原作中では鉄道路線として明確に設定されていたわけでは無いためアニメ化に際してアニメーターが黄色い車両を中央・総武緩行線と想定したのか(制作のスタジオ・ディーンは同線沿線の西荻窪にある)、アニメ31話「一刻館スキャンダル 五代君が同棲中!?」では「立川」、「津田沼」の行き先を出した電車が描かれており、92話「こずえちゃん結婚! 五代の愛は永遠に?!」では「西船橋」の行き先を出した電車が描かれているとファンサイトでも指摘されておりビデオ、DVDなどをスローや一時停止をすれば確認できる。

TVドラマでは、東急東横線・妙蓮寺駅前 (時計坂駅として登場する) や白楽駅前の六角橋商店街・周辺の坂道がロケ地に選ばれている。同商店街は坂道にあり、またロケが行なわれた2006年12月時点でも80年代から立て替えられていない商店が多いことからこの地が選ばれたと思われる。また、五代が受験し合格発表などを撮影した東京学院大学には武蔵大学が用いられている。

真の主人公ともいえる一刻館の所在地について、原作中では郵便物の住所などに「練馬区」の文字が見える(61話)が、住民票の異動に「市役所」へ行くなどのセリフもあり一刻館の具体的な住所は特定できないとするのが通説で、23区にほど近い東京都西部の設定であると考えられている。一刻館のモデルは高橋が学生時代に住んでいた中野区のアパートに隣接する「へんなアパート」であり、1980年の春に取り壊され連載を決めたときにはすでに建物は無かった(ビッグコミックスピリッツ2005年47号)。正面からの構図は札幌の時計台や高知県安芸の野良時計に近似されるが、文字盤が正面にしか無いなど一致する箇所は部分的である。原作では一刻館の管理人室の位置が構造的にありえないことも指摘されており、「昨日まであった」かのようでありながら、実際には「どこにもない」場所である。

主人公である五代裕作の職業は「保父(ほふ)」と劇中ではなっているが、これは正確には誤りである。[2]

裕作の祖母ゆかり婆ちゃんを新潟の実家へ国鉄大宮駅まで一刻館の住人らで見送りに行き、ホームで酒盛りを始めてしまうエピソードがある。これは、国鉄がJRへ民営化されておらず、そして東北・上越新幹線がまだ全開通しておらず大宮駅を暫定で始点としていた頃{具体的には1982年(昭和57年)11月15日〜1985年(昭和60年)3月14日の間}の作品であることが分かる。ちなみにアニメでこのエピソードを取り上げた時には上野駅の地下新幹線ホームにかえられている。東京駅始発になったのは1991年(平成3年)6月20日からである。

出展:ウィキペディア

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